プロフィール

あいさつ

初めまして。

源氣鍼灸治療院の院長、大川内拓也と申します。

私は、地域の健康と美容に貢献したいと願い、平成24年に曽於市末吉町に鍼灸院を立ち上げました。

しかし、未だに鍼灸に対する誤解も多く、また鍼灸の効果がほとんど知られていない現状に、愕然としました。

そこで、できる限り多くの人達に鍼灸の良さと可能性を広めたいとの思いで、日々活動しております。

その中で、不妊にお悩みの方が、本当に多いことに気づきました。

運動器系のスポーツ疾患や高齢者向けの治療院は、周囲を見渡しても沢山あると思います。

しかし、不妊や生理痛などで悩む患者様は、他に行く場所がありません。

そんな行き場のない方々の力になりたい、との思いから、不妊治療に力を入れてきました。

実は、鍼灸は知る人ぞ知る、不妊に適応した施術として業界では有名なのです。

少子高齢化の進む中、赤ちゃんが欲しいのに授からないのは、本人にとっても社会にとっても、本当に悲しことです。

また、不妊に悩む皆様の力になって、未来の社会に少しでも貢献していきたいという想いもあります。

一人でも多くの赤ちゃんが産まれますように、全力でサポートする所存です。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

平成31年3月21日

略歴

・昭和49年生まれ

・鹿児島経済大学卒業(現鹿児島国際大学)

・鹿児島鍼灸専門学校卒業

・(平成22年)鍼灸師国家資格取得

・(平成22年)NPO日本ゆる体操協会公認ゆる体操準指導員取得

・(平成22年)経絡治療学会会員

・(平成24年)源氣鍼灸治療院開業

・(平成26年)日本DRT協会会員

・(平成28年)経絡治療学会学術大会(東北大会)にて「不妊症(体外受精)の症例」を発表

ストーリー

私は、昭和49年、旧曽於郡末吉町(曽於市末吉町)に生まれました。

しかし、生まれてすぐ親の転勤で、幼少期は鹿児島市、奄美大島、熊本市などを転々とし、曽於市に帰り開業するまでは、鹿児島市でずっと過ごしてきました。

曽於市には治療院開業のために帰ってきたのですが、そもそも治療家になったきっかけは、学生の頃学んでいた武術から”身体に興味を持った”ことに始まります。

その後、ゆる体操と出会ってからは、身体の可能性に未来を感じ、もっと多くの人達にこの身体の豊かさを知ってほしいとの思いから、直接人の身体に携わる仕事を目指して、鍼灸師の道に進みました。

私も不定愁訴に悩んでいた時期があります。

だからこそ、治療という形で不調に悩む人たちの身体を解放し、健康な心身からくる活力で、幸せな人生を切り開いてほしいと願ってのことです。

長くなりますが、その歩みを10項目に認めます。

お時間ある方は、ご覧いただくとあり難いです。


⒈始まりは武術との出会い

私は幼少の頃より、絵を描くのが好きで、絵ばっかり描いていましたが、高校の頃「武術」に興味を持ちます。

特に中国武術に興味を持ち、サークルでかじったり、独学で勉強しながら、合わせて空手を学び始め二段まで進みました。

そして大学に進学し、今度は「古武術」と出会います。

私は古武術の奥深さに、中国武術と同じくらい身体の可能性を発見し、夢中になって学び続けました。

私にとって武術とは格闘技ではなく、一種の「身体開発法」としての認識があり、来る日も来る日も武術のトレーニングに明け暮れる、武術三昧の学生生活を送ったのです。

しかし自分の実力に限界を感じ、師匠の教えを吸収しきれないまま大学生活も終わりを迎え、ついには師匠とも別れの時がきたのです。

そんな失意中に新しく出会ったのが、「ゆる体操」でした。


⒉人生を変えるゆる体操との出会い

ゆる体操は、身体をゆるめることで、身体が本来持っている様々な能力を覚醒させることができます。

もちろん健康も、美容も、そして武術の実力もです。

当時は、大阪や福岡まで、ゆる体操の開発者である高岡英夫のセミナーに足繁く通い、ゆる理論や身体意識理論を学びました。

身体をゆるめ身体意識を開発することで、誰でも「後天的天才」になれるという画期的な理論が強く心を打ちました。

これまで”才能”は、生まれながらの先天的なセンスとされてきましたが、それを今からトレーニングして、身につけることができるというのです。

当時は、健康も仕事も、人間関係もうまく行っていなかったので、そう言ったものから解放され、強くなりたいという思いもありました。

そのため、自分自身を変えるために必死になってトレーニングに励みました。

現在も、鍼灸師としての能力開花、能力向上のためには、ゆる体操は欠かせないトレーニングとなっています。

逆にゆる体操がなければ、ここまで皆様のお役に立つことはできなかったと思います。


⒊長年の不定愁訴に悩まされて、健康への不安

ゆる体操に人生を賭けた理由は、武術以外にもう一つあります。

実は、高校時代くらいから、ずっと”不定愁訴”に悩まされていたのです。

とにかく身体がだるく、疲労が抜けず、背中のコリや、立ちくらみに悩まされていました。

しかし、病院でも異常なし。

疲れでしょう、ストレスでしょう。挙げ句の果ては気のせいでしょう・・・。

もはや、この辛さは誰にもわからない。自分で何とかするより他はないと決意しました。

最初はそれが武術でした。

しかし自分の身体が追いつかず、返って疲弊してしまうのを、押し切って修行をしていたという矛盾もあります。

そこへ来ての、ゆる体操との出会いでした。

自分に一番足りなかったのは、身体をゆるめるという概念だったのです。

それ以降、私はゆる体操に救いを見て、必死に取り組みました。

お陰様で、不定愁訴も随分改善して、当時に比して見違えるように健康になりました。

もしゆる体操がなければ、自分の人生はどうなっていたことか、きっと寝たきりになっていたのではないかと、考えると恐ろしくなるほどです。


⒋病床の祖父に何もしてあげられなかった後悔

20年前に祖父を亡くしました。

祖父は元々脚がかなわない上、転んだ衝撃で7年間寝たきりになり、最後は亡くなりました。

武術をやっているのに、身体のことが何もわからない、祖父に何もしてあげられない無力な自分に激しい憤りを感じたのを覚えています。

今でも、あの時、今の自分なら少しは力になれたかなと、思い出すことがあります。

その後悔が、少なからず今の治療家としての原点になっているのは間違いありません。


⒌身体のことを本格的に勉強したくて

私は、大学図書館で図書館司書として働いていました。

毎日学生に触れる環境にあります。

その学生たちを見ているうちに、やがて「自分も学びたい」、そんな思いが募ってきたのです。

武術もやって、ゆる体操(運動科学)も学んで、身体のことはある程度は勉強したけれど、医学的にはほとんど無知だという自覚がありました。

その無知さが自分の中では心残りで、次第に「学びたい」気持ちが増していったのです。

散々悩みましたが、一度しかない人生なので、一念発起し多大なる覚悟を持って、鍼灸学校に入ることに決めました。

決め手になったのは、学校説明会で「鍼灸は不定愁訴に最も向いている」という話を聞いて、不定愁訴に悩み続けていた私は、これだ!と直感したことです。

また、鍼灸は国家資格である上に、西洋医学も東洋医学も両方学べるところもポイントでした。


⒍仕事をしながら夜間の鍼灸学校へ

平成19年に、鹿児島鍼灸専門学校へ入学しました。

生活費を稼ぐために、昼間は大学図書館で仕事をしながら、夜間の学校に3年間通うことになりました(当時は夜間があった)。

この3年間、死に物狂いで勉強しました。

全てを吸収するつもりで、人生で一番勉強したと自信を持って言えるほど、とにかく勉強しました。

お陰様で、3年間皆勤賞で卒業し、国家試験にも無事に合格し、平成22年に晴れて鍼灸師になりました。

本当に良いクラスメイトと、教員に恵まれたからこそ、今の自分があると思っています。


⒎鍼灸「経絡治療」との出会い

鍼灸師の資格を取っただけでは、残念ながら臨床では何の役も立ちません。

鍼灸には色々な流派や考え方があり、学校で治療法そのものは習わないからです。

身体の知識はあっても、その知識をどう使えばいいかは、各流派や団体に所属して勉強するか、実際に治療院に就職して現場で身につけるしかありません。

私は学生時代から、既に経絡治療を学んでいたので、卒業後はそれを深めるために正式に学会に所属し、勉強に励みました。

経絡治療は、東洋医学に基づいた日本式の伝統鍼灸です。

幸いなことに、会では多くの優れた先生方によって正しい道筋を学ぶことができました。

この経絡治療こそが、私の施術の中心となっている、とても大切な技術です。


⒏源氣鍼灸治療院開業

平成24年、生まれ故郷である(住んだことはない)、曽於市末吉町に鍼灸院の開業のために帰ってきます。

親の健康を診る必要性もあるというのも、決断の一つでした。

しかし、知り合いも親戚もいない中、ほぼゼロからの出発で、まさに新天地でした。

最初は本当に苦労し、何度も挫折しそうになりましたが、どこに行っても良くならないと落ち込んでいた患者様が、みるみる笑顔になっていったり、長年の不妊で悩んでいた方に赤ちゃんができて感謝されたり、そう言ったことが積み重なってくると、本当にこの仕事を選んで良かったと、心の底から思えるようになりました。

元々は、「武術」で身体に興味を持ったことが出発点でした。そしてより身体を極めたいと「ゆる体操」と出会い、その身体の豊かさを多くの人に伝えたいと、「鍼灸師」になったわけです。

そう考えると、高校時代からずっと繋がっていて、これが私の天命なのだと感じています。

お陰様で、今では曽於市を始め都城市からも沢山来てもらえるようになり、遠いところでは、鹿児島市、鹿屋市、霧島市からも来られております。ありがたいことです。

少しでも多くの方々に、本物の鍼灸を伝えたい、鍼灸の素晴らしさを知ってもらいたい、鍼灸で健康になってもらいたいと思い、日々鍼を握っています。


⒐学び続けて・・・

現在も弛まず学び続けています。

鍼灸施術だけではなく、様々な整体や治療法を学び、取り入れて、研究を続けています。

身体のことをもっと知りたいからです。

世の中には、まだまだ私の知らないことばかりです。

知らないがために、患者さんの健康になる機会を奪ってはならないと思っています。

特に、最近ではゆる体操を中心に、姿勢と不調との関係を研究し、独自の施術理論を構築しています。

私も不定愁訴の悩まされた辛い過去があり、身体も強い方ではなく、患者様の不調は全く他人事ではありません。

少しでも悩んでいる方のお力になれるように、あらゆる方向から施術方法を探って学び続けています。


⒑若い皆さんへ

ここまで長文を読み続けていただき、ありがとうございます。

このページを見てくださる、妊活・不妊にお悩みという方は、20代から40代の比較的若い世代だと思います。

私は、本当の鍼灸と、本当の健康を、若い方にこそ伝えていきたいと思っています。

若い時は体力でなんとかなりますが、歪みはずっと蓄積され、それが不妊、やがて将来の不調や大病となって現れます。

そうなる前に、自分の身体の偉大さとその可能性を知ることで、心身ともに元気になっていただきたい。

そして人生をより充実した幸せなものにしていただきたい、と願っています。

私もまだまだ修行途中です。

一緒に、本当の健康を目指しましょう。